「元気になりたい」と思うのに、なぜ元気になれないのか
「もっと元気に働きたい」「前向きに頑張りたい」
そう思いながらも、どこか空回りしている感覚を抱えていませんか。休んでも疲れが取れない、やる気が続かない、何かに追われているような焦燥感。そんな状態が続くとき、私たちはつい「自分に元気がない」と結論づけてしまいます。
ですが、本当の問題は「元気がないこと」ではなく、「元気の”元”が何か分かっていないこと」なのかもしれません。
この記事は「答えを教える記事」ではありません。すでにある答えに、なぜたどり着くのかを紐解く記事です。
私は過去に、このようなポストをしました
私は過去に、X(旧Twitter)でこのような内容をポストしました。
「元気」という言葉。ふだん何気なく使いますが、この機会に少し深く掘り下げてみます。「元気」は、元(モト)と気(キ)の組み合わせ。そして重要なのがこの元(モト)の”中身”です。コレが何かハッキリしてる分だけ『活力=エネルギー』に変わります。今すぐ”中身”を明確に!
(※うまく表示されない場合があります。その場合は、上記のポスト全文をご確認ください)
このポストは、日常の中でふと立ち止まったときに生まれたものです。当時、周囲の人たちが「元気がない」「やる気が出ない」と口にする場面に何度も遭遇していました。そのたびに、私自身も同じような感覚を抱えていることに気づきました。
なぜこの言葉に”引っかかる人”がいるのか
「元気の”元”を明確にする」
表面的に読めば、シンプルで当たり前のように聞こえるかもしれません。ですが、実際にこれを実践できている人は、驚くほど少ないです。
なぜでしょうか。それは、私たちが「元気」という言葉を、あまりにも抽象的なまま使い続けてきたからです。
「元気を出そう」と言われても、何をどうすれば元気になるのか、具体的なイメージを持てないまま終わってしまう。頑張ろうとするのですが、どこか空虚な感じがする。それは、「元気の源」が何なのか、自分自身でも理解していないからです。
「知っている」と「使っている」の決定的な違い
「知っている」と「使っている」の間には、決定的な違いがあります。
元気という言葉の意味を知っていても、自分にとっての「元」が何かを言語化できていなければ、それはただの知識で終わってしまいます。いざ疲れたとき、やる気が出ないとき、その知識は何の役にも立ちません。
一方で、自分の「元」を言葉にできている人は、自分を立て直す術を知っています。なぜなら、どこに戻れば良いかが分かっているからです。
例えば、ある人にとっての「元」が「誰かの笑顔を見ること」だとします。その人は、疲れたときに誰かと会話をしたり、人の役に立つことをしたりすることで、自然とエネルギーを取り戻せるのです。
ですが、それを言語化できていなければ、「なぜか分からないけど疲れが取れない」という状態が続いてしまいます。
構造的な理由:なぜ実践できないのか
多くの人が実践できない理由は、能力の問題ではありません。むしろ、これまで「元気とは何か」を問われる機会がなかった、という環境や前提の問題です。
私たちは、子どもの頃から「元気を出しなさい」「頑張りなさい」と言われて育ちます。ですが、「あなたにとっての元気とは何か」と問われたことは、ほとんどありません。
その結果、「元気」は外から与えられるもの、または気合で生み出すものだと思い込んでしまいます。なので、自分の内側にある源泉を見つめることなく、表面的な対処法を繰り返します。
さらに、現代社会は「忙しさ」を美徳とする傾向があります。立ち止まって自分の内側を見つめる時間は、「無駄」だと感じられてしまう。その結果、自分の「元」が何なのか、考える機会すら持てないまま過ごしてしまいます。
これは、個人の問題ではなく、構造的な問題です。だからこそ、意識的に立ち止まり、自分に問いかける時間を作ることが重要です。
この考えに至った背景
私自身、長い間、この問題に気づいていませんでした。
以前、仕事で大きなプロジェクトを任されたことがあります。最初は張り切っていたのですが、次第に疲弊していきました。休日もしっかり取り、睡眠時間も確保しているのに、なぜか疲れが取れない。「もっと頑張らなければ」と自分を鼓舞しても、どこか心が空回りしている感覚がありました。
ある日、ふと立ち止まったとき、自分が「何のために」頑張っているのか、まったく言葉にできないことに気づきました。
プロジェクトを成功させたい。それは確かにありました。ですが、それは本当に「自分の元」だったのでしょうか。もしかしたら、周囲の期待に応えたい、評価されたい、という外側からの動機だったのかもしれません。
そのとき初めて、自分の中にある「元気の源」が何なのか、ハッキリしていないことに気づきました。源が曖昧なまま走り続けていたから、どれだけ休んでも回復しなかったわけです。
違和感の正体
その後、少しずつ自分の内側を観察するようになりました。
すると、ある共通点が見えてきました。「やらなければならない」という義務感で動いているときは、どれだけ成果を出しても満たされない。一方で、「これをやりたい」という内発的な動機で動いているときは、多少疲れても心は軽いです。
この違いは何か。それが、「元」の有無でした。
「やらなければならない」は、外側からの要求に応えようとする状態。つまり、「元」が自分の外にある状態です。一方で、「これをやりたい」は、自分の内側にある何かに突き動かされている状態。つまり、「元」が自分の中にある状態です。
この気づきは、私にとって大きな転換点でした。
言葉にすることの重要性
ですが、ただ気づいただけでは不十分でした。
自分の「元」が何なのか、具体的に言葉にする必要がありました。曖昧なまま「なんとなくこれが好き」では、いざ選択を迫られたときに判断基準にならないからです。
そこで、私は自分が心を動かされた瞬間を、できるだけ具体的に言語化する習慣をつけました。日記のように書き留めるわけではありません。ただ、心の中で「今、なぜこう感じたのか」を問いかけて行きます。
例えば、誰かと話していて「この人との対話は心地よい」と感じたとき。それはなぜか。新しい視点をもらえたから。自分の考えが整理されたから。価値観が共有できたから。そうした要素を一つひとつ拾い上げていくと、自分にとっての「元」が見えてきます。
この体験がなければ、あのポストは生まれていません。
思考の分解|なぜ私は、そう考えるのか
では、「元気の”元”を明確にする」とは、具体的にどういうことでしょうか。
私にとって、それは「自分が何に心を動かされるのか」を言葉にすることです。
例えば、人との対話で気づきを得たとき。たとえば、誰かの役に立てたと実感できたとき。たとえば、新しい発見があったとき。そうした瞬間に感じる「これだ」という感覚。それが、私にとっての「元」です。
ですが、これはあくまで私の場合です。あなたにとっての「元」は、まったく違うかもしれません。
重要なのは、他人の基準を借りてくるのではなく、自分自身の内側にある感覚を丁寧に拾い上げることです。
「元」を見つける具体的なプロセス
私が実際に行っているのは、日常の中で感じた違和感や喜びを、その場で言葉にしてみることです。
例えば、ある会議で誰かの発言に強く共感したとき。その瞬間に「なぜ今、心が動いたのか」を自分に問いかけます。すると、「新しい視点に触れた」「自分の考えが言語化された」「価値観が共有できた」といった要素が見えてきます。
逆に、やる気が出ないと感じたときも同じです。「なぜ今、気が重いのか」を問うことで、「誰かの期待に応えようとしている」「自分の意志ではない」「意味を見出せていない」といった構造が浮かび上がります。
こうした積み重ねの中で、自分にとっての「元」が徐々に明確になっていきます。
判断基準としての「元」
「元」が明確になると、日々の判断基準が変わります。
以前の私は、「これをやるべきか」という視点で物事を考えていました。ですが今は、「これは自分の”元”に沿っているか」という問いに変わっています。
沿っていれば、多少大変でもエネルギーが湧いてきます。沿っていなければ、どれだけ条件が良くても、どこか空虚な感じがします。
これは、善悪の話ではありません。ただ、自分にとって何が本質的なのかを知っている、という状態です。
そのために、私は次のような問いを自分に投げかけています。
- 最近、心が動いたのはどんな瞬間だったか
- 疲れていても「やりたい」と思えることは何か
- 誰に何を言われなくても、自然と続けていることは何か
- 逆に、義務感だけで続けていることは何か
- 今の選択は、誰の承認を求めているのか
こうした問いを通じて、自分の中にある「元」の輪郭が少しずつ見えてきます。
あえて選ばなかった道
あえて選ばなかった他の選択肢もあります。
例えば、「元気を出すためのテクニック」を集めること。世の中には、モチベーションを上げる方法や、やる気を維持するコツが溢れています。ですが、それでは根本的な解決にはなりません。なぜなら、テクニックは「元」が明確になって初めて機能するものだと思うからです。
また、「他の人が元気になる方法」を真似ることもできます。ですが、それもまた、表面的な解決に終わってしまいます。なぜなら、人それぞれ「元」は違うからです。
私が選んだのは、遠回りに見えるかもしれませんが、自分自身の内側を丁寧に観察し、言葉にしていくという道です。
“こう考えると、こう見える”
それだけのことです。答えを押し付けるつもりはありません。
あなたが”自分の現場”に持ち帰れる問い
ここまで読んでくださったあなたに、いくつかの問いを差し出したいと思います。明日すぐ使えるものではないかもしれませんが、あなた自身の思考を整理するヒントになれば嬉しいです。
- もし「元気の源」が何か分かっていたら、今の選択は変わるだろうか
- 今の判断は、誰の基準に基づいているだろうか
- 疲れたときに本当に求めているのは、休息だろうか、それとも別の何かだろうか
- 「元気になりたい」と思うとき、何をイメージしているだろうか
- 自分が心から「やりたい」と感じることを、最後に言葉にしたのはいつだろうか
これらは、答えを求める問いではありません。考え続けるための問いです。
今日から新たな一歩を”考える”
この記事をここまで読んでくださったあなたは、きっと何かしら共感や気づきを得てくださったと思います。大切なのは、その気づきをすぐに行動へ変えることではありません。まずは、日常の中で立ち止まり、考える時間を持つことです。
「元気の元」を明確にするのは、一朝一夕にできることではありません。ですが、少しずつ自分の内側に問いかけていくことで、今まで見えていなかった景色が見えてくるかもしれません。
たとえば、朝のコーヒーを飲みながら、ふと「今日は何をしたいだろう」と自分に問いかけてみる。仕事の合間に、「今、自分は何に心を動かされているだろう」と立ち止まってみる。そんな小さな問いの積み重ねが、やがて「元」を明確になっていきます。
やるべきことではありません。ただ、考えてみる価値があるかもしれない、ということです。
まとめ:ポストを「知って終わり」にしない
冒頭で投げかけた問いに、もう一度戻ります。
「元気になりたい」と思うのに、なぜ元気になれないのか。
それは、「元気の元」が何かを、私たち自身が言語化できていないからです。
「元気」という言葉は、元(モト)と気(キ)の組み合わせ。そして、その「元」が何かハッキリしている分だけ、活力に変わっていく。このポストの意味は、単なる言葉遊びではなく、自分自身の内側にある源泉を見つめ直すことにあります。
では、あなたにとっての「元」は何でしょうか。
この問いに、今すぐ答える必要はありません。ですが、問い続けることはできます。そして、その問いの先に、あなた自身の答えが待っているはずです。
おわりに
この記事では、私自身が過去にX(旧Twitter)でポストした内容を、改めて深掘りしました。当時は伝えきれなかった価値観やものの見方が、あなた自身の思考を整理するヒントになれば嬉しいです。
「元気」という言葉の奥にある構造を理解することで、日々の違和感が少しずつ言語化されていくかもしれません。そして、その言語化こそが、あなた自身の「元」を見つける第一歩になるのではないでしょうか。
この記事の要点
- 「元気」は元(モト)と気(キ)の組み合わせであり、「元」が明確なほど活力に変わる
- 多くの人が元気になれないのは、「元気の源」が何かを言語化できていないから
- 自分にとっての「元」を見つけるには、内側にある感覚を丁寧に拾い上げる問いが必要
- 答えを求めるのではなく、考え続けることが重要
現在は『毎日1ポスト』を目標に、毎朝6時頃に発信しています。最新の気づきや学びはXでリアルタイムに発信していますので、ぜひ気軽に覗いてみてください。(@slw_abe)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント