現状維持は衰退なのか|改善思考を持ち続ける意味

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X-ポストを深掘り
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「このぐらいでいいかな」と思った瞬間、何かが止まる

SNSで発信を始めて半年が経った頃、ふと自分の中にこんな声が聞こえてきました。

X(旧Twitter)は毎日ポストできているし、このぐらいでいいかな…

最初は苦手意識と抵抗感だらけだったSNS発信。それでも「チャレンジの年」と決めた以上、インプットだけで終わらせず、自分の知識や経験をアウトプットしようと決意しました。

ブログの投稿頻度は減ったものの、X(旧Twitter)のポストは毎日続け、少しずつ反応も増えてきたし、習慣化もできた。だから、このままでいいんじゃないか…。

ですが、その瞬間に気づきました。これは「満足」ではなく、「妥協」ではないかと。

何か新しいことを始めたとき、私たちは最初のうちは向上心を持って取り組みます。ですが、ある程度の成果が出ると、または思うようにいかないと感じると、「このぐらいで…」という声が聞こえてきます。この声に従ってもいいのだろうか…。

この違和感の正体を、一緒に紐解いていきたいと思います。

この記事は「答えを教える記事」ではありません。すでにある答えに、なぜたどり着くのかを紐解く記事です。

私が過去に投稿したポスト

私は過去に、このようなポストをしました。

現状維持=衰退。何か新しいことにチャレンジする時は、はじめのうちは目標に対して向上心を持って取り組みます。ですが、目標を達成したり、うまくいかないと「このぐらいでいいかな…」という悪魔の”ササヤキ”とともに、手を緩めてしまいます。これがキケンです。持ち続けたい思考は『改善』です。

※うまく表示されない場合があります。その場合は、上記のポスト全文をご確認ください。

このポストは、SNSでの発信を始めて半年ほど経った頃に書いたものです。当時の私は、まさに「このぐらいでいいかな」という声と向き合っていました。

毎日ポストという目標は達成できている。反応ももらえるようになった。ですが、内容は無難になっていないだろうか。本当に伝えたいことを、ちゃんと言葉にできているだろうか。

このポストは、他の誰かに向けたものであると同時に、自分自身に言い聞かせるために書いた言葉でもありました。

なぜ「このぐらいでいいかな」という声が聞こえるのか

この声は、決して怠惰から生まれるわけではありません。むしろ、真面目に取り組んできたからこそ聞こえてくる声でもあります。

苦手なことに挑戦し、継続し、一定の成果を出す。その過程で、私たちは多くのエネルギーを使います。だからこそ、ある地点に到達したとき、脳は無意識に「ここで一旦、落ち着いてもいいのでは?」と判断します。

私自身、SNS発信を始めた当初は、毎日が試行錯誤の連続でした。何を書けばいいのか、どう伝えればいいのか、そもそも誰かに届いているのか。不安と抵抗感を抱えながらも、「まずは続けること」を目標に投稿を重ねました。

そして半年が経ち、習慣化できたとき、ふと気づきました。「続けること」が目的になっていて、「何を伝えるか」という本質が薄れていることに。

これが「現状維持」の怖さです。目標を達成したことで満足し、そこで思考を止めてしまう。言い方を変えれば、妥協です。

ですが、この妥協に気づけたこと自体が、実は大きな一歩でした。

私がこの考えに至った背景

SNS発信を始めた年、私は「チャレンジの年」と決めていました。

それまでの私は、インプット中心の学び方をしていました。本を読む、研修に参加する、知識を蓄える。ですが、それを誰かに伝えることには強い抵抗がありました。「自分の経験なんて、誰かの役に立つのだろうか」「批判されたらどうしよう」という不安が、常にありました。

ですが、ある時こう思いました。インプットだけでは、本当の意味で自分のものにならないのではないか、と。アウトプットすることで初めて、自分の理解の浅さや曖昧さに気づける。それなら、苦手でも挑戦してみよう。

こうして始めたSNS発信でしたが、最初の数ヶ月は本当に辛い時期でした。何を書いても反応がない日もあれば、思いがけず共感をもらえる日もある。一喜一憂しながらも、とにかく続けることだけを考えていました。

そして半年が経った頃、ふと自分の投稿を振り返ってみました。すると、あることに気づきました。

内容が無難になっている。本当に伝えたい「違和感」や「葛藤」を避けて、受け入れられやすい言葉ばかりを選んでいる。

「このぐらいでいいかな」という声は、まさにこの瞬間に聞こえてきました。

ですが、同時にこうも思いました。ここで妥協したら、何のために始めたのか分からなくなる。改善思考を持ち続けなければ、また元の「インプットだけの自分」に戻ってしまう。

このポストは、そんな自分自身への戒めであり、励ましでもありました。

なぜ私は「改善」という言葉を選んだのか

このポストで私が使った言葉は、「向上」でも「成長」でもなく、改善です。

この違いには、明確な意図があります。

「向上」や「成長」という言葉は、どこか終わりのない努力や、常に高みを目指し続ける姿勢を連想させます。ですが、それは時に自分を追い詰める言葉にもなります。

一方で「改善」は、今ある状態をより良くするという、具体的で地に足のついた言葉です。完璧を目指すのではなく、今できることを少しずつ良くしていく。その積み重ねが、結果的に大きな変化を生む。

私がSNS発信で目指したのは、完璧な投稿でも、多くの反応を得ることでもありませんでした。自分の中にある違和感や気づきを、誠実に言葉にすること。そして、それを少しずつ磨いていくこと。

改善思考とは、「もっと高みを目指せ」という話ではなく、「今、ここで思考を止めていないか?」と自分に問い続ける習慣の一つです。

介護の現場でも同じです。利用者さんの状態は日々変化します。昨日うまくいったケアが、今日も通用するとは限りません。だからこそ、「このやり方で固定」と決めた瞬間、現場は動きを止めてしまいます。

改善思考を持ち続けることは、変化に柔軟に対応し続けることでもあります。

あなたの現場に持ち帰れる問い

では、この思考をどう日常に活かせるでしょうか。以下の問いを、自分自身に投げかけてみてください。

  • 今、自分が「このぐらいでいいかな」と思っている領域はどこだろうか?
  • それは本当に「満足」なのか、それとも「妥協」ではないだろうか?
  • 最初に抱いていた目的や想いを、今も持ち続けているだろうか?
  • 習慣化できたことで、かえって思考が止まっていないだろうか?
  • 半年前の自分と比べて、何かひとつでも改善したことはあるだろうか?

これらの問いに、すぐに答える必要はありません。ただ、日常の中でふと立ち止まり、自分の状態を観察してみる。それだけで、見える景色が変わります。

今日から新たな一歩を”考える”

この記事をここまで読んでくださったあなたは、きっと何かしら共感や気づきを得てくださったと思います。大切なのは、その気づきをすぐに行動へ変えることではありません。まずは、日常の中で立ち止まり、考える時間を持つことです。

「このぐらいでいいかな」という声は、今日も、明日も、あなたの中に聞こえてくるかもしれません。ですが、それを否定する必要はありません。その声に気づき、一度立ち止まって「本当にそうか?」と問いかけてみる。

それが、改善思考の第一歩です。

私自身、このポストを書いた後も、何度もこの声と向き合ってきました。ですが、その度に立ち止まり、自分に問いかけることで、少しずつ前に進むことができています。

完璧である必要はありません。ただ、思考を止めないこと。手を緩めそうになったとき、自分に問いかけること。それだけで、日常は少しずつ変わっていきます。

「知っている」で終わらせない

冒頭で問いかけた違和感を、もう一度振り返ってみましょう。

「このぐらいでいいかな」という声が聞こえたとき、何が止まるのか。それは行動ではなく、思考です。

現状維持が衰退である理由は、環境が変化し続けるからではありません。自分が思考を止めることで、本来の目的を見失ってしまうからです。

このポストが伝えたかったのは、「もっと頑張れ」ではなく、「立ち止まって、今の自分の状態を観察してみよう」ということです。そして、妥協ではなく、改善という視点で、もう一歩前に進んでみよう、ということです。

あなた自身に問いかけてみてください。今、どこで立ち止まっていますか?そして、そこから何が見えますか?

おわりに

この記事では、私自身が過去にX(旧Twitter)でポストした内容を、改めて深掘りしました。当時は伝えきれなかった価値観やものの見方が、あなた自身の思考を整理するヒントになれば嬉しいです。

この記事のまとめ

  • 「このぐらいでいいかな」は、真面目に取り組んできたからこそ聞こえる声
  • その声は「満足」ではなく「妥協」である可能性がある
  • 現状維持が衰退である理由は、思考を止めることで本来の目的を見失うから
  • 大切なのは「改善」という、今をより良くする具体的な思考習慣
  • まずは立ち止まり、自分の状態を観察することから始めよう

現在は『毎日1ポスト』を目標に、毎朝6時頃に発信しています。最新の気づきや学びはXでリアルタイムに発信していますので、ぜひ気軽に覗いてみてください。(@slw_abe

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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